アフリカンビートとロックの融合を試みた80年代前後デヴィッド・バーンの軌跡を全盛期トーキング・ヘッズのライブで振り返る

中期トーキング・ヘッズの特集をします。このブログを初めて早3,4年、いつもタイムリーを逸した記事を更新している当ブログですが、今回はいつにもまして謎のタイミングです。タイトルをどうぞ。長すぎる。でも、きっと面白い世界が浮き出るはずです。それではさっそく。
※動画ごとに音量がまちまちですが、できるだけ大音量でどうぞ


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そもそもトーキング・ヘッズとは
1974年にアメリカにて結成されたロックバンド。ニューヨーク・パンクの聖地「CBGB」出身としても有名である。1stでは「ポップスマナーに則りつつ、大衆でなく芸術に迎合するアート畑出身の知的なニューウェーブバンド」として関係者から注目を集めたものの、まだ”その手では有名な”バンドだった。しかし彼らは、70.80年代の音楽を面白くした主犯ブライアン・イーノ」と出会うことでバンドのポテンシャルが最大限に引き出されていくこととなる。

バンドの進化、そのキーワードは「リズム」である。彼らは基本的にインディバンドであり、プロミュージシャンには演奏技術でどうしても劣る。なので「キレッキレのカッティング」だとか、ジェームス・ブラウンに代表されるような「ファンク」を単純に突き詰めようとしても分が悪かった。そこで彼らはその二要素を参照しつつ、(インディバンドらしく)自分たちが演奏可能な範囲で最大の創意工夫とアイデアでもって独自のリズム感覚(グルーヴ)を獲得するに至った(そのあたりクラッシュと似てる)。詳細はいつか書くであろうアーティスト記事に託すとして、その成果は2ndで実を結び、3rdで覚醒。研ぎ澄まされたユニークなリズム感覚でもって、話はついに本題に入る。「アフリカンビートとロックの融合」である。


アフリカン・ビートと出会ったバーン
最初に言っておきたいのが、トーキング・ヘッズは基本的に「(雑食の)歌ものバンド」だということだ。デヴィッド・バーンは元々しっかり曲が書ける人である。今回取り上げる要素は、あくまでトーキング・ヘッズの一側面であることはまず伝えておきたい。彼はイーノと出会ったことによって、リズムトラックから(メロディというより)唄を紡ぎだすセンスを磨きあげることとなるのだった。

リズムに傾倒したバーンは、「ポリリズム」などに強い関心を持っていたイーノの影響もありアフロリズムに目を向けた。そして生み出されたのがアフリカン・ビートとロックスの融合・その雛形「I Zimbra」(1979)である。いかにもなパーカスに、カッティングと素っ頓狂なギターフレーズ(考案者はなんとキング・クリムゾンのロバート・フリップ御大だ!)…従来のロックにはあり得ないバックサウンド。バーンはそこに語感だけで作られたナンセンス詩を基に、原始的なリズムとメロディをつけることで楽曲を完成させた。良い音質の動画がなかったが、アートスクール出ならではのアプローチ・そのセンスは伝わるはずだ。楽曲はまだまだルーツ寄りだが、ここからバーンのアフリカン・作曲ツアーは始まった


REMAIN IN LIGHT
そして時は80年。前年の「I Zimbra」に手応えを感じたイーノとバーンは、本格的にアフリカン・ビートを突き詰め始める。そこで生まれたのが、名うてのサポートミュージシャンを大々的に取り上げて創られたかの有名なバンドの代表作「REMAIN IN LIGHT」である。
パロ含め有名すぎるジャケ
この作品自体、リズムからのアドリブをつなぎ合わせて完成させただとか、ワンコードで作曲されたそのミニマリズムだとか、テクスチャを用いたのちのヒップホップ的ともいえるサウンド構築、イーノの楽曲編集ワーク、エイドリアン・ブリューの怪奇なギターなど話の尽きない名盤ではあるが、それは後の感想記事におき。いまでこそ代表作だが、この路線変更っぷりは挑戦作どころのさわぎでなかった。よくここまで一気に踏み込んだな…という印象で、だからこそ名盤たりえたのだろう。本作最大の見せ場は前半4曲におけるアフロビート、ファンク、ポリリズムをロックのメソッドで飲み込んだ画期的な楽曲だ。ここではちょうど80年のライブ映像が見つかった「The Great Curve」を取り上げよう。

ワンコードと基本リズムの反復に対し、即興から得られたメロディ・カッティングパターン・リズムパーツをパズルのように組み合わせていきながらひたすら上り詰めていくその構成力。14年作「サムデイワールド」より、イーノはこの形態を「ポリリズム」と解釈しているようだ)特に2分のブリューのソロ以降は圧巻、後半は怪物だ。ファンクの反復、アフリカンビートを継承しつつ全く新しい拡大世界の盛り上がりがある。トーキング・ヘッズが当時最高のライブ・バンドと評されるようになった(マックス・ベル談)のもこのあたりである。サポートメンバーの協力を得ることで、バーンとバンドは今作で完全にこのオリジナルサウンドを手中に収めた


アルバムからは「Once in a Lifetime」というヒットシングル(UK#14)もうまれ、ポリリズムをつかさどるシンセにワールドライクなリズム、起伏のないコードから放たれる語りのようなメロ・キャッチーなコーラス、記憶に残りすぎるMV(81年の最多再生を記録!!)とともに彼らの名は世界に知れた。この曲に関してはMVのほうが革新性が伝わると思うので、ぜひコチラも。動きも面白すぎる、文句なしの代表曲だ。


旅は続く・隠れたバーンの重要作「The Catherine Wheel」
トーキング・ヘッズは一つの頂を極めたリメイン・イン・ライトをもって一度活動を停止する。その間には各自のソロ活動などがあったわけだが、今回はバーン&イーノが作り上げたこれまた重要作「My life in the bush of ghosts」…ではなく81年バーン制作のサウンドトラック(!)The Catherine Wheel 」(81年)を取り上げる。

何故かというと、今作はイーノがかかわっておらず、純粋なソロ作としてバーンの当時の興味・実験模様が伺えるからだ。イーノのスタジオワーク力が高すぎる故みえてこない生の部分が見える点で重要作である。また、ここからなんと4曲が後にトーキングヘッズのライブにおいて取り上げられており、打ち込み要素が強いサントラverとトーキングヘッズでのライブverの比較がまた興味深い(ぶっちゃけ全部ライブverのほうが累乗もんでカッコいい)。ここでは「Big Blue Plymouth(Eyes Wide Open)」を比較してみる。これがサントラverである。(5:32から)録音が悪いのが残念だが、打ち込まれたリズムパターンには相変わらずアフリカンビートを汲もうとする意識が聴き取れる。

そしてこれがライブver。非常に肉体性が高まり楽曲構造が明確になったのが分かる。アフリカンビートは受け継ぎつつも「I Zimbra」や「The Great Curve」と異なり、コード進行を最小限に動かし、初期のように歌ものとして仕上げることに成功しているのが特徴だ。ハイハットと太鼓の強烈なリズム、裏返りを使ったバーンのメロ、何故かハワイアンのようなコーラスと当時の才覚が湧き出た演奏である。

この作曲メソッドを身に着けた彼は似た方法論で「What a day that was」もよくライブ披露しており、STOP MAKING SENSEでもハイライトの一つとなっている。わざわざソロ曲をバンドのライブで4曲も取り上げたあたり、バーン自身当時のトーキング・ヘッズでの演奏には相当手ごたえを感じていたことがわかる。余談だがサントラからの4曲そのライヴverは是非チェックしてほしい。「What a day that was」「Big Business」「Big Blue Plymouth」「My Big Hands」特に後ろ二つはレアだ。  


「STOP MAKING SENSE」
バーンの手ごたえは正しかった。サポートメンバーを大きくフューチャーしたライブパフォーマンスはすさまじく、作品評価、ライブともに当時の彼らはまさしく最先端に立った。自信をつけた彼らはブライアン・イーノの下をたち、セルフプロデュースにて4th「Speaking in Tongues」(83年)を発表。リズミカルなメロディを打ち出し、ブラック感を強めたダンサンブルな楽曲を多くそろえた本作は商業的にも成功。そして彼らは集大成として、音楽史に残るライブ映画「STOP MAKING SENSE」(84年)に取り掛かった

自分はこの映画が好きすぎて、話そうとすると大変なことになるのでここでは作品の魅力については泣く泣く割愛する。ともかくも、多数のサポートミュージシャンを取り入れたこの編成において、トーキング・ヘッズの、バーンのアフリカン・ビートの探求は完成を見たといっていい。余裕の前奏から加速しての展開。3rdで獲得した間を生かしたフレーズの応酬、ティナ・ウェイマスの素晴らしいベースの置き(この人実はベースラインを思いつく天才である)、狂乱のパーカスとタイトなドラム、Pファンク出の感覚的なシンセ。どれも先人たちを参照しつつ、まったく新しいものだ。ここに「アフリカンビートとロックの融合」は見事結実したのだった。


そして旅の終わりへ
しかし皮肉にもバンドは音楽性の完成とともに軋轢が生じ始め、最高のライブバンドと言われた彼らはこのライブを最後にツアーをやめてしまう。そこには多数のサポートミュージシャンを招いたことによるオリジナルメンバーの不信、バンド全体に路線変更を押し付ける形となったバーンとメンバーの関係変化などが原因とされている。一連の挑戦がバンドの寿命を縮めたのは間違いない。だがココには革新的な音楽が遺り、あまたのフォロワーがその遺産を継承し素晴らしい音楽を結んでいった。その足跡は確かに刻まれたのである。

バンドはここでアフリカン・ビートからは一度離れカントリーなどを吸収しつつ新たなフェイズを、バーンはその後のソロ活動でさらに視野をワールドミュージックに広げていくことになることになるのだが、それはまたいつかの記事にて………。



というワケでバーンを中心に、トーキング・ヘッズの中期をアフリカン・ビートとロックの融合という視点でまとめてみました。いかがだったでしょうか。まだまだ記すべきことは沢山ありますが、ひとまずこれで。演奏聴いて思いましたが、やはり凄いバンドです。

そういえば2015年6月17日にめでたく国内版ブルーレイが発売されるそうなので(そう考えるとタイムリーか!)、彼らの軌跡の詳しくはそこで実際に確認して見てください。内容についてはいわずもがな。6曲目からでも是非見てみてください。最高にクールで踊っちまいますですよ。おわり。
     

タグ: アーティスト紹介記事

コメント

No title

サム様 こんばんは

トーキングヘッズの全盛期に於いて
デヴィッド・バーンがいかにグイグイ引っ張っていたかが
良く分かる記事でした。

まぁ、これだけやっちゃうとバンド・メンバーも
ストレスたまっちゃうだろうなぁ。

Re: No title

GAOHEWGII さん こんばんわ

調べてみて改めて思いましたが、本当に主導しきってた感じで…
他のメンバーもソロアルバムを出している中、
自分のサントラからのみ4曲バンドに拝借してくるあたりもやりすぎな気がしました苦笑。
もちろん、リスナーとしてはどれも聴きものだったワケですが。

このあと普通にアルバム3.4枚も出せたのは何気にすごい気がします。
毎回これだけサポートミュージシャン揃えられたら、
本メンバーとしてはライブしたくなくなってくるでしょうねぇ。

> サム様 こんばんは
>
> トーキングヘッズの全盛期に於いて
> デヴィッド・バーンがいかにグイグイ引っ張っていたかが
> 良く分かる記事でした。
>
> まぁ、これだけやっちゃうとバンド・メンバーも
> ストレスたまっちゃうだろうなぁ。

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サム

Author:サム
旧一人音楽座談会。
「もう一回聴いてみよう」「こんなのもあるのか」が好きで、「これだけ聴けばいい」が嫌い。普段はTwitter↓にいます。

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